斎藤武次さんは桜沢氏の私塾「M・I」で一年間過ごしました。
そしてM・Iを出てからは経済的自立をはかるため、自動車販売業に携わりながら35歳の時、私設「モニコド文庫」を立ち上げます。
自ら桜沢関連の「GOレター集」12巻を始め、雑誌、書籍などを意識的に収集、
さらにはマクロビオティック関連の先輩、友人からの協力を仰ぎながら、MI生活の体験日記「知らなかった国よ」を発表、
それを契機に日本CI協会の「桜沢如一資料室」へ参加、一方自宅では若手を交えての「GO研究会」を開催されています。
また、正食協会の発行する月刊誌「むすび」に、隔月で「桜沢セレクション」と題した桜沢氏の書籍紹介を隔月で連載中です。
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近々上梓される予定の斎藤さんの著書「マクロビオティックの世界観」巻1巻2は、桜沢氏に関連する膨大な資料を基にまとめられたものです。
斎藤さんが、桜沢氏のマクロビオティックの普及活動について、改めて関心を持ち本格的にその足跡を辿ってみようと思いついたのは、今から15年ほど前の69歳の時でした。
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「18歳の時以来、きわめて素朴な食生活を実践してきただけで、それ以来病気もせず、ある程度自分の好きな道を歩いてこられたことは、平凡な道とはいえ何より有り難い幸せな事だったと思わざるを得ません。したがってこれからの人生、自分はいかに生きるべきか、人間として自ずと見えてくるものがあろうと言うものです」
「『マクロビオティックの世界観』は、とりもなおさず桜沢先生から受けた天の恵みにも似た大恩に対する、一弟子からのオマージュとして捧げる恩返しの意味を込めた作品です」(「マクロビオティックの世界観」第1巻のあとがきより引用)
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最後に、斎藤さんが21歳のときから「心の気つけ薬」として読み返してきた桜沢氏の一文を披露させていただきます。
(斎藤さんの著書「知らなかった国よ」より)
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多くの人は「まず金をためて、ハタラキ、ソレからユメの実現にかかろう」と言う。
「金がないから冒険はできない。私には妻子がある」とも言う。
しかしカレらは入用な金をためるのに大テイ一生かかっても間に合わないのが多いし、
タマニ大きな金額たくわえても、モー生物学的に、生理学的にモーロクして若い日のユメなんか忘れていたり、
モー貪欲の化身、守銭奴になっていたり、ドロボーニ殺されたり、
子供や孫からの親の莫大な財産のオカゲで病弱者になっていたり、
次々に若い者が死んでゆくのを見送るので身も心も疲れ果て、初めて人生の意義を考え出したり、
お寺参りを始めたりする。モーおそ幕である。
人生はその日その日がユメの実現であり、自己の表現であり、イトナミであり、楽しみでなくてはならない。
山登りと同じで、目標が決まっていて、道を一歩一歩進んで一分一分目的に近づくのでなくてはならない。
山登りの用意のために一生かけたのではタマラナイ、つまり日々のイトナミと一生の目的が一つでなくてはならない。
(「コンパ」105―106合併号より抜粋)
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※斎藤武次さんの研究会ルポは、「むすび」3月号に掲載されています。